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   写真の左側を流れる Spree 川と、右側の少し細い Kupfergrabenkanal の間に位置する島がいわゆる Museumsinsel だが、実は川と運河で囲まれているだけで、厳密に言えば〈島〉と言えるかどうかは疑わしい。
   ここには、手前の三角形の建物から、中央の上に丸屋根の見える Berliner Dom と、その右に見える Lustgarten と名づけられている公園(かつては後に触れる Berliner Schloß の裏庭であった)に至る部分に5つの博物館ないしは美術館が固まって存在しており、そのために一般的に〈博物館の島 Museumsinsel〉と称されている。
   最初の三角形の建物は Bode-Museum と呼ばれ、1897年から1904年にかけて島内の4番目の博物館として建てられた(元の名称は Kaiser-Friedrich-Museum)。第二次大戦後に付けられた現在の名称は、美術史家であり、当時の国立美術館群の事務総長であった Wilhelm von Bode に因んだものであり、彼は1872年からほぼ60年にわたって Berlin の美術館群の整備のために働き、90年代には〈美術館のビスマルク〉とさえ呼ばれた人物である。現在、Berlin の美術館群はここ以外にも Dahlem と Kulturforum に散在しており、徐々に建物の修復や整備、あるいは配置換えが行われているが、この建物に関してもようやく修復が終わり、今年の10月17日に開館した。50万を超えるコインとメダルの陳列室、ビザンチン美術館、リーメンシュナイダーやドナテルロの彫刻展示室からなっている。
   S-Bahn の高架橋の上に見えるかなり大きなコの字型の建物は、1909年から30年にかけて建築された Pergamonmuseum で、すでに完全に修復され、夥しい数の古代オリエント、ギリシャ・ローマの建造物やその付属物、近東およびイスラム世界の作品などが展示されている。まさにドイツ考古学の成果の集積である。
   Pergamonmuseum の左上にある少し小ぶりの建物が Alte Nationalgalerie で、運河沿いと正面および隣の Neues Museum まで、長い柱廊で囲まれており、建物の入り口は両面から上がる階段になっている。この美術館は、1861年に Akademie der Künste ができるまで、近代絵画の展示場だったが、第二次大戦後は一部が西Berlin に新しく建てられた Neue Nationalgalerie に移され、統一後は再編成されて、19世紀の作品はここに、そして現代芸術は後者へと配置換えが行われた。
   右側に立っている少し背の高い建物は Neues Museum であるが、この建物も現在修復の途中で、再開は2009年の予定である。エジプトおよび古代史の博物館になる予定である。
   最後の美術館は、1830年に開館した Karl Friedrich Schinkel の手による擬古典主義の Altes Museum で、正面が壮大なイオニア風の円柱の列で飾られている。

   この美術館の正面に位置するのが先に触れた Lustgarten で、本来はその南の Unter den Linden の延長線上にある Karl-Liebknecht-Str を隔てた空き地に立っていた王宮の裏庭だったところで、16世紀末までは香草や野菜が植えられた畑だったそうである。その後 Brandenburg の選帝候たちが Lustgarten(楽しみの庭)と名づけ、珍しい植物を植えたり、噴水を作ったりして、憩いやスポーツの場にしていたらしいが、軍人王の Friedrich Wilhelm I (1688-1740)の時代にはそれらを取り払って、練兵場にしてしまった。現在ではきちんと整備された芝生の庭になっており、市民の憩いの場になっている。
   この庭の東側には丸屋根を乗せた壮大な Berliner Dom が聳え立っている。このドームは、かつてドミニコ会の教会があった場所に1747年から50年にかけて建造されたもので、ホーエンツォレルン家の宮廷教会かつ霊廟の役割を与えられていた。バロック建築だったものを Schinkel が1816年から21年にかけてネオバロックに改築し、またさらに、世紀の変わり目に現在の形に改造されたが、当然戦災で破壊され、戦後修復されて現在に至っている。なお、この写真の手前に見える大理石の彫像の並んでいる部分は Schloßbrücke と名づけられている橋で、1824年に同じく Schinkel によって架けられた Berlin でもっとも美しい橋と言われているものである。
   さらにこれらの南側には、かつて王宮の建っていた Schloßplatz という空き地と、その西側に長大な Palast der Republik(共和国宮殿)が立っているが、この建物は現在解体が始まっている。この建物は Palast というよりも DDR の国会議事堂であると同時にレストランやスポーツ施設などを備えた公共建築物で、長さ180m、幅85mの大きさである。但し、1990年にアスベストがふんだんに使用されていることが判明し、解体には困難が伴っているようである。一方、DDR 時代に、完全に崩壊していなかったにもかかわらず意図的に爆破された本来の王宮については、再建をめぐって賛否両論があり、どうなるかは未定である。
   美術館等の最南端はほぼかつての漁村 Cölln に対応する部分であるが、これについては Nikolaiviertel のページで触れたい。