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   帝国議会議事堂。最初の建物は1884年から94年にかけてイタリアの盛時ルネサンスの様式に基づいて建設され、1871年創設のドイツ帝国の象徴とされていたもので、建設費には主として普仏戦争での勝利後のフランスからの賠償金が当てられた。最初の建物にも中央の上部に半円形のドームが見えるが、これはルネサンス様式とはまったくかけ離れたもので、むしろ鋼鉄とガラスという、当時の先端的な建築技術を示すものであった。最初の写真でははっきりしないが、第一次世界大戦中に、中央の6本の円柱の上に〈Dem deutschen Volke〉という文字が刻まれ(現在の建物にも刻まれている=右の写真参照)、この文字は後にさまざまな形で政治的に悪用されることになる。建物は1933年の2月27日と28日の夜にナチスによって放火され、共産主義者のせいにされた。第2次世界大戦が開始された後も統一後に至るまで完全には修復されることなく、むしろ戦後はドイツの降伏の象徴として、崩落の危険性があるため丸天井が破壊され、また内部も改造された上で、廃墟の上にソ連の旗が掲げられていた。ただ、まったく使用されていなかったわけでもなく、主としてドイツ史の諸問題に関する博物館や、会議場として部分的に使用されていたし、何よりも〈ベルリンの壁〉に直接接している位置にあったので、壁の見物の一環として、観光の対象にされていた。
   1991年2月2日に、統一後の最初の連邦議会が開かれた後、1995年には2週間にわたって Christo 夫妻が銀色のシートで建物全体を覆い、芸術作品として展示したのは記憶に新しい。
   その後、1999年に至るまで修復と改造の工事が行われ、特に注目すべきことは、地下の熱を利用するなどして、運営に際しての環境保護的な施策が徹底的になされている点である。もともと存在した丸天井はガラス張りの展望台と化しており、ほとんど1日中入場できるし、議事堂にも、事情の許すかぎり、予約すれば入ることが可能である。この丸天井も本体には必ずしも合うものではないが、最初の建物の丸天井のことを考えれば、あながち奇異なものであるとも言えない。この天井も空調の機能が付与されており、一番上の部分は開け放つことができる。