白字になっている建物については、クリックすると写真が現れるか、あるいは別のページにリンクされています。

   中心から始めると、左上から右下方に流れているのが Spree 川で、この川の中央の折れ曲がった部分に接続しているのが、現在の美術館島である。この〈島〉の下半分と上の、グレーのゾーンに囲まれた部分が Berlin の最も古い部分で、14世紀頃までは Berlin および Cölln という2つの町の集合体であり、前者には乳製品の市場、後者には魚市場があって、互いに支え合っていたそうである。後に2つの町が一体化された際に両者を護る最初の城壁が作られ、その遺跡が現在でも Spree 川と運河が合流したところのあたりに残っている(Waisenstraße)。ちょうど函館の五稜郭に見られるような保塁を伴った二重線の城壁は30年戦争の時代のものであるが、Brandenburg の大選帝侯時代以降、Berlin の町は特に西に向けて拡大を続け、それに伴って町を囲む壁も広げられていった。地図の最も外側の壁は1802年に完成したもので、この壁には14の門(Tor)が作られていた(現在残っているのは Brandenburger Tor のみ)。
   なおそれぞれの門には、基本的にそこから走っている街道の行く先の名称が付されており、現在でも地名その他に残っている(例えば Brandenburger Tor は Brandenburg に通じる門である)。
   またこの地図からは、残存するいくつかの広場の形態や位置も分かる。中央左の Brandenburger Tor の横に見える正方形の広場が Pariser Platz、その下の Potsdamer Tor に接している八角形の広場が Leipziger Platz、その右下の円形の広場が Mehringplatz、そして Brandenburger Tor から右に走っている Unter den Linden が2番目の壁にぶつかったあたりが Bebelplatz である。
   さらに1914年の地図を見てみよう。あまり明確な地図ではないので、わかりにくいが、それでも右上の Alexanderplatz の駅(Bhf. Alexander-Pl.)から左下に向かって Spree に至る地図が、現在とは全く異なっていることが分かる。現在では存在しない王宮(KGL. SCHLOSS)が立っているのは別として、この王宮のあるところから右上に延びている道路は、現在では拡幅された上、 Karl-Liebknecht-Straße に変わっているし、下方を横に走っている Leipziger Straße の先には、Gertraudenstr. その他と、途中でいくつか名前が変わってはいるが、8車線の大通りが走っている。Alexanderplatz のページでも触れたように、Marienkirche は市街地の真ん中に立っている。一方でここからは、Unter den Linden が当時いかに広い道路であったかも分かる。