ドイツと日本

 今日,ごく一般的な日本人はドイツについてどのようなイメージを持っているのであろうか?「ベルリンの壁」が崩壊して統一ドイツが生まれたことは,おそらく誰の記憶に新しいことであろう.しかし,例えばそれがドイツの歴史の中でどのような意味を持ち,また,現在ドイツという国やドイツ人にどのような問題を引き起こしているかを十分理解している人々は,それほど多くないに違いない. ナチスやヒトラーについては,最近いくつかテレビでも放映された映画などによってある程度の認識を持っている人はいると思われるが,それでも,一方的に悪玉扱いを繰り返した一時代前のアメリカの戦争映画や,格好の良さを強調する劇画などのせいで,相変わらず偏見が支配していると言った方が当たっていると思う.しかし他方で,例えば筆者が属している東京大学の地域文化研究専攻の大学院や,その下にある教養学部の後期課程(ドイツ科)の学生の中に,最近ナチズムやその時代について研究したり,卒論を書こうとする学生が増えていることから推測すると,大方の関心が高まっていると想像することもできる.従軍慰安婦の問題に代表される日本の戦後処理の問題がクローズ・アップされていることが,その背景の一つになってもいるのであろう.しかしこれとても,大学や学問の世界の中でのごく少数の人間に関わる現象であると言われればそれまでで,ごく普通の人たちの認識が高まったとまでは言えないかも知れない.

 ところで,我々の日常生活の中でドイツはどのような形で登場しているのであろうか.例えば最近外車に乗る人たちが急速に増えており,筆者が住んでいる横浜市の郊外の新興住宅地の駐車場では,停めてある車の10台のうち2ほどがベンツかBMW,つまりドイツ車である.性能的にすぐれた面はもちろんいくつもあるであろうが,欠陥率から言えば日本車の方がはるかに勝っており,これは権威あるドイツの技術監査協会(TUEV)のレポートが証明している.おそらく一種のステータス・シン ボルの役割を演じているのか,あるいは単に格好の良さに惹かれているにすぎないのであろう.

 それ以外にmade in Germanyで眼に付くものに何があるであろうか? 一時ゾリンゲンの刃物がもてはやされたことがあったが,最近ではほとんど忘れ去られている.ドイツのビールはなかなか手に入らないが,ワインは比較的簡単に手に入る.但し,並べられているのは甘いものばかりで,ドイツ・ワインを少しでも知っている人間なら,とても買う気にはなれない代物が多い.ドイツ風のパンや,ドイツ風のソーセージを作って売っている店も増えている.かつては東京の都心や神戸などにあ るわずかな数のドイツ・レストランでしか味わえなかったものが,最近では郊外でも手に入るようになり,中にはドイツで修行して自分の店を開くパンづくりやソーセージづくりの職人も増えている.ただ,これは本物のmade in Germanyではないし,それに比較的近いと言えるだけで,おそらく筆者も含めてかつてドイツに住んだことがあり,これらに郷愁を抱いている人々が増え,そうした人々が買っているにすぎないのであろう.

 日本のメディアに登場するドイツもかなり影が薄い.10年前に6大紙における1ヶ月間の報道の実態を,フランスと比較しながら調べたことがあるが,意外だったのは,フランスに関する記事よりドイツに関する記事の方がはるかに多いという結果が出たこと,日本経済新聞が他紙の3倍以上報道しており,しかもそれが経済関係の記事に限られないことであった.と言っても,大小を含めて6紙全体で1ヶ月にドイツが163回,フランスが 126回であるから,日経を除くと朝刊と夕刊を合わせて1紙平均月に20回弱,つまり,全く報道しない日が3分の1以上もあったのである.しかも記事の3分の1以上が外電で,20行以下,あるいは10行の小さな記事が多かった.おそらくこの数値は,現在でもあまり変わっていないに違いない.

 他方で,こうしたうらさびしい現象の中で突出しているのがクラシック音楽である.年末には「第9」が何度も演奏され,ドイツの演奏家やオーケストラが来演すれば,高い値段の付いた切符が瞬く間に売り切れとなり,ドイツ音楽のCDの販売量も他を圧しているように見える.ここには,車の場合とは異なる別の理由が存在するように思われるが,一体それが何であるのか,筆者にはうまく説明がつかない.ひょっとして,ただ単に日本人の一部にはクラシック音楽に対する独特の思い入れや嗜好が存在し,たまたま質的にも量的にもドイツ音楽がその歴史の多くを担ってきたというだけなのかも知れない.つまりクラシック音楽の愛好者にとって,それはあくまでクラシック音楽であって,ドイツ音楽という意識はあまりないのかも知れない.いずれにせよ,こればかりはきわめて特異な現象である.

 これに対して,ドイツにおける日本の存在感の大きさはかなり対照的である.かつてはデュッセルドルフのみによって代表されていたドイツにおけるその存在は,基本的には相変わらずかなり偏っていることには変わりがない上,メディアにほとんど登場しない実態も日本以上だが,それでもかなり以前からドイツの社会を席巻していることは否定できない.つまり日本製の車であり,そして何よりもハイテク機器に代表される made in Japan である.Honda, Mitsubishi, Sonyといった企業の名 は,文字通りドイツ人の日常生活の一部になってさえいるのである.

 こうした企業の進出を背景に,ヨーロッパの金融の中心地になりつつあるフランクフルトに,昨年29階建ての「日本センター」が完成し,しかもこの町とその周辺にはすでに260を越える日本企業が進出し,住んでいる日本人の数も3,500人を越えている.ちなみに,デュッセルドルフに拠を構える日本の企業の数は450,日本人の数は8,000人である.しかも,目下巨大な建築現場となり,クレーンが林立しているベルリンのポツダム広場には,Sonyがヨーロッパ本社を建築中で,この建物には, 当時のドイツ皇帝やマレーネ・ディートリヒが出入りしたかつての超高級ホテル,エスプラナーデの一部が組み込まれる予定である.最近では,東京の郊外の電車の中でも時折りドイツ語が聞こえてくるほど,少なくとも東京に滞在しているドイツ人の数は増えたが,例えばデュッセルドルフの人口は57万人であるから,8,000人といえば1%を遙かに上回わっていることになる.

 かなり陰りが見えてきたが,ドイツへの留学生の数もかなり多い.最近では自然科学はもとより,法律や哲学,あるいはドイツ文学といった,これまで日本人を引きつけてきたドイツの学問に魅力がなくなったこともあって,留学生の行く先はアメリカ合衆国に集中しているが,ともかく戦後約50年間において,ドイツの公的な学術交流機関の奨学金を得てドイツに留学した学生や研究者は4,000人近い数に上っている(「ドイツ学術交流会(DAAD)2,000人,「アレクサンダー・フォン・フンボルト団」1,700人).私費留学や短期間の語学研修などを含めれば,この数字はさらに増えるであろうが,ここで注目すべきことは,同じ敗戦国であるドイツが,日本人にこれほど多くの奨学金を与えてきたという事実の方である.ちなみに,国立国会図書館の高木浩子さんの調査によれば(『日本ドイツ学会ニュース』8号,1989年),明治期の留学生の80%がドイツへの留学生であり,第2次大戦前までの最大の留学相手国は首尾一貫してドイツであったという.

 一方,50年代末まではせいぜい数十人であった日本へのドイツ人留学生も,最近では年間300人を越えている.これは,明らかにドイツにおける日本語ブームや日本研究の活性化によるものであろう.事実,しばらく前からドイツの大学で日本語を学び,日本の経済や文化を研究する学生が増えており,日本学を主専攻とする学生が200名を越える大学がいくつもある.また1997年の秋には,戦前までドイツにおける日本研究の3大拠点の1つであったライプツィッヒ大学の日本学科が復活した.さらに大学だけではなく,各都市の成人学校や,いくつかのギュムナジウムでも日本語教育が行われており,データは少し古いが,東京医科歯科大学の鈴木直さんの推計によれば,大学で日本語を学んでいる学生の数が約4,000人,全体では8,000人に上るという(日本ドイツ学会編『ドイツ研究』10号,1990年,成文堂).

 日本関係の出版物や翻訳も増えている.1988年に出された丸山真男の『日本の思想』の翻訳は5,000部以上売れているし,つい最近,インゼル書店が出し始めたシリーズ「日本文庫」に含まれる河野多恵子の『みいら採り猟奇譚』の翻訳は,数ヶ月のうちに6,000部以上売れたそうである.現在の日本で,ドイツの思想書や文学書の翻訳がこれほど売れるなどということは,はなはだ考えにくい.

 こうした現象の背景にあるのは,もちろんすでに述べた,ドイツ人にとってかなり大きなものになった日本の存在感,そして何よりも,低下したとはいえ依然として強力な日本の経済力であろう.日本に学ぼうといった意識がドイツ人の中にそれほどあるとはあまり思えないが,さまざまな点で大いに気にかかり,あるいは興味を引く対象になっていることは確かである.特にドイツの企業は,技術提携の形などで日本の企業と協力関係を結んだり,あるいは輸出の3分の2をヨーロッパに向けてい る現状を打開しようと,アジアへの拠点としての日本に対してしきりにアプローチを試みている.さらに何よりも現在のドイツが欲しているのは,東ドイツ地域への日本企業の進出であろう.すでにザクセン州をはじめとして,そこにはいくつかの企業が進出を始めているが,インフラの整備の遅れなどが企業に二の足を踏ませているようである.人件費がまだ安く,しかしヨーロッパ共同体の中にしっかり組み込まれているこの東ドイツ地域は,本来ならばヨーロッパ進出の格好の舞台となりうる はずなのにである.


ドイツ語をめぐる状況

 一体,こうした一方通行に近い状態はこれからも続くのであろうか? いや,こうした状態を放置しておいてよいのであろうか?

 まず,基本となるドイツ語の問題を検討しておこう. かつて東京大学に入学した学生のほぼ6割がドイツ語を第2外国語として選択していたが,現在では4割を切っている.特に文系が低く,文3などはわずか5分の1である.全体で4割弱というのは,ひとえに理系の学生のほぼ5割が相変わらずドイツ語を選択していることに依っている.しかもこのパーセンテージは,入学時に明確な意図のもとになされた選択の結果ではなく,かつてのドイツ語=学問の言葉,ドイツ=学問の国という先入観が,現実には崩れているにもかかわらずまだ潜在的に存在しているためである.事実,自然科学者にとってもはやドイツ語は何の役にも立たない言語であり,したがって理系の学生たちも,入学当初は別として,2学期目に入ると急速にドイツ語に対する興味を失ってゆく.カリキュラムや教え方にも問題があろうが,むしろ客観的な状況がそうさせている面が強いのである.もちろん,これは決してドイツ語のみの問題ではない.例えばかなり以前から,社会科学の大学院の入試科目から第2外 国語がはずされており,また最近では,いわゆる大綱化に基づく大学改革の進展と,何よりも大学入学者数の減少を目前にして,おそらく主として経済的な理由から,各大学で第2外国語の必修を廃止し始めている.たしかに,かつてのように東京大学の学生の六割がドイツ語を学び,あるいはそのほとんどがドイツ語の教師でもある日本独文学会の会員が2,500人以上もいる,つまりドイツ語の先生がそれだけ存在するという事態は,世界と日本の客観的な関係から見れば異常である.今年のよう に,新入生のロシア語履修者がわずか37人になったというのも,逆の意味で異常には違いないが,特に理系における,実体の伴 わないドイツ語偏重という事態は,さらに改善されてしかるべきであろう.

 幸い東京大学の前期課程では,ともかく2カ国語必修の制度を堅持し,他方で第2外国語(東京大学では英語が第2外国語では必ずしもない)の自由選択部分の拡大や,インテンシヴ・コースの導入などを試みている.これには外国人教師が積極的に関わり,彼らの授業は学生が教室に入りきらず,時には2つに分けねばならないほどの活況を呈している.もちろん1学年3,500人を越える学生の総数から見ればきわめて少ない数であり,ここからドイツへの関心が弱まっていないといった結論を 引き出すわけにはゆかない.この場合のように,英語以外の言語についてもとにかく話せるようになりたいという学生がかなり存在するというのは,これは同僚の推測だが,若者の旅行熱と関係があるようなのである.たしかに,旅行会社の広告などを見るかぎりでは,ドイツ語圏への旅行の需要が他の国に比べて劣っているわけでは決してないし,逆にロシア旅行などは全く興味の対象になっていないように見える.

 さて,本題に入る前に(もちろん以上のことを単なる「前書き」として書いたつもりはないが)もう少しドイツ語という言語について触れておきたい.デュイスブルク大学のアモン教授によれば(『ドイッチュラント』1994年2月号),全世界に存在する5,000以上の言語の中で,ドイツ語を母語とする者の数は日本語の1億1,500人に次いで第11位の1億300万人(1987年の調査による.ちなみに9位までの言語は上から中国語,英語,スペイン語,ロシア語,ヒンディー・ウルドゥー語,インドネシア語,アラビア語,ポルトガル語,ベンガル語である.1964年には発展途上国の人口がまだそれほど増えていなかったため,ドイツ語は6位であった),公用語として使用している国の数が7で第5位(英語63,仏語34,西語23,アラビア語22),世界中で最も学ばれている言語という点からいえば第3位か4位,また経済力の指標の一つである,母語とする人口の総生産高からいえば英語(4兆2,700億ドル)と日本語(1兆2,700億ドル)に次いで第3位(1兆900億ドル)である(1990年の統計).もう一つ,アモン教授の指摘の中で興味深いのは,1890年頃から1930年頃までの間,学術出版物全体に占める言語の比率においてドイツ語はトップの座を占め,それ以後は英語の比率が拡大し,ドイツ語が縮小していったという事実である.これは丁度,日本人の留学先としてドイツがトップを占めていた時期と符合している.

 いずれにせよ,以上のデータを見ただけでも,現代の世界の中でドイツ語ないしドイツ語圏の占めている位置が相変わらずかなり大きいことは一目瞭然であろう.今後,中国をはじめとするアジアの諸国が伸びてゆくことは間違いないが,EUというより包括的な地域の中においてではあっても,ドイツがかなり大きな役割を演じ続けることは否定できない.ところが,すでに述べたように,ドイツに関して我々に与えられる情報は極端に少なく,一般的な関心も存在感もきわめて希薄である.まず日本のメディアは,ドイツの文化や社会について十分な知見をそなえた若者をもっと採用して彼らを特派員として派遣し,外電に頼るのでなく,自らの力で情報を収集して十分な報道をすべきである.外務省をはじめとする官公庁も同様で,人材を揃えて情報収集にもっと力を入れ,また大使館や領事館を充実すべきである.最近のドイツが在外公館の充実に力を入れ,それがドイツ経済の国際競争力の強化や国際政治の場での活動においてどれほど貢献しているか,一度徹底的に調べてほしいものである.

 ドイツに関する十分な情報の収集や報道の必要性だけでなく,現在のドイツには我々が参考にしたり,問題解決の手がかりにしうる出来事や事象が他の国々とは比べものにならないほど多いことも考慮するべきであろう.年金や老人介護,地方自治や首都移転,新幹線や高速道路の建設,国営企業の民営化,原子力をはじめとする資源問題,中小企業や金融,少子化と家族,外国人問題,戦後処理や教科書問題,自然保護や環境破壊など,挙げ始めればきりがないが,こうした問題については,メディアが散発的に報道してもさほど役に立たない.誰かが,あるいはいずれかの機関が継続的にフォローし,背景も含めて精密に分析し,さらに相手との対話を続ける必要がある.少々手前味噌になるが,冒頭で触れた駒場の地域文化研究の大学院の専攻や後期課程はその小さな受け皿の一つである.残念ながらスタッフの数はもちろんのこと,設備においても学生数においてもあまりに貧弱すぎ,このままでは大した働きはできそうにないが,競争の中で生き残ろうとするならば,まず相手をよく知る必要があるし,また,自分の置かれている状況を少しでも改善したいならば,似たような状況の中にいる人々の行動や意見を積極的に参考にするべきである.特に学生諸君はこうしたことにもっと眼を向けてほしい.国際化や情報化は,何もせずとも利益をもたらしてくれるといった事態では決してない.むしろ手をこまねいていれば自分が抹殺されてしまうという,きわめて危険な事態なのである.これは学生諸君をはじめとする,若い世代の近未来の重大問題の一つであると思う.

1997年7月,麻生 建
(本稿は『UP』1997年7月号,東京大学出版会に掲載されたものである)