ドイツ・ビールの歴史

ビールの歴史は紀元前6000年にまで溯ると言われ(左はバビロンでのビールを飲む光景)、今日では世界中で飲まれているが、ワイン好きのローマ人は野蛮人の飲み物と見なし、タキトゥスの『ゲルマニア』にもビールを飲むゲルマン人の様子が侮蔑的に描かれている。

 ドイツのビールは1516年にバイエルン侯国のヴィルヘルム4世が公布した「バイエルン純粋令(Reinheitsgebot)」以来、大麦(Gerste、正確にはその麦芽(Gerstenmalz)とホップ(Hopfen)と水のみで作るように決められている。米やコーンスターチを混ぜる日本のビールとは大違いである。もちろんそれ以前には大麦以外の穀物、しかもそれらを麦芽(Malz)にせずに使用されていたし、またホップでなく蜂蜜や茸や木の皮が添加物として使用されていた。ホップ(写真下)については768年にバイエルンのガイゼンフェルトにあるベネディクト会の修道院で栽培されたという記録があるが、中世にはホップ入りもなしも作られていた。有名なのは北ドイツで苦みをつけるために14世紀まで使われていたエリカの一種のポルスト(Porst)で、これで作ったビールはPorst が低地ドイツ語でgrutと呼ばれることから、グルートビーア(Grutbier)と呼ばれていた。

 中世初期に主にビール生産を行っていたのは修道院で、ここで様々な技術改良がなされた。最初に(1143年)正式に醸造と販売の許可が与えられたのもバイエルンのヴァイエンシュテファン修道院であるとされているが、12世紀以降30年戦争頃までは、むしろビールの醸造は北ドイツの諸都市でなされ、13世紀にはベーメン(ボヘミア)のビールが特に名声を得ていた。醸造の重点がバイエルンに移ったのは17世紀から18世紀にかけてであるが、バイエルンのビールの特徴はいわゆる下面発酵(Untergärung)ビールである。酵母が桶の下に沈んで発酵する方式で、しかも温度が摂氏5-6度で経過し、発酵だけで約10週間かかるため冷却に細心の注意を要する。したがって、昔は厳冬期に発酵させたものを夏まで貯蔵するのに地下の貯蔵所が利用された。ラガー・ビールのラガー(ドイツ語ではラーガーLager)は寝床や貯蔵庫を意味し、本来この下面発酵ビールを指す。

 一方、上面発酵(Obergärung)ビールは摂氏10-25度の常温で、しかも数日で完了するため製造は簡単である。上面発酵ビールはドイツにも存在するが、フランスやイギリスで伝統的に作られており、最も有名なのはイギリスのエール(ale)である。

2006.12.08 更新