ワイン Wein ⇒ Weinlesebuch

ドイツ・ワインの歴史

 ドイツでワイン作りが始まったのはローマ帝国のゲルマン民族鎮圧の拠点であった、モーゼル川沿いに位置するトリーア周辺である(写真は黒ずんでしまったためPorta Nigra[黒い門]と呼ばれているトリーアの当時の城門)。ワインはローマ人にとって日常生活に不可欠なものであったため、苗木をガリアやローマ本国から取り寄せ、土着のケルト人に葡萄作りと醸造技術を教えて生産させた。3世紀にはゲルマン人も生産に参加し、作付地域もモーゼル川流域からライン川を遡ってその左岸のラインプファルツ地域にまで、またモーゼルより北でラインに流れ込むアール川流域にまで拡大する。

 しかし民族大移動の時代には、生活の中にワイン文化をもたないゲルマン諸部族の侵入によりヨーロッパのワイン文化は壊滅的な打撃を受ける。それが再び復活したのは、キリスト教とともにローマの文化を取り入れたフランク王国時代である。特にカール大帝(左)はワイン産業の振興につとめ、ラテン語の読める僧侶たちにワイン作りを指導させた。というのは、当時ワイン作りの教科書はラテン語のものしかなく、また寺領でワインを作らせることは教会への財政的援助の面もあったからである。今日でも秀れたワインに修道院の名が付されているのはその名残りである。(右上の写真は12世紀に建てられた、かつてのEberbach修道院。現在ではラインガウ地域の著名な醸造所の一つになっている。)

 ドイツのワイン作りは戦争や害虫の蔓延により何度も被害を受け、特に30年戦争はドイツの葡萄畑をほぼ全滅に近い状態にした。また19世紀初頭にはフィロクセラ・ヴァスタトリクスという害虫がアメリカからヨーロッパに侵入し、ドイツの葡萄畑も大被害を被った。しかしドイツ人はこうした幾たびもの打撃にもかかわらず品種と醸造技術に改良を加え、今日では比較的寒冷地であるにもかかわらず、非常に優れたワインが各地で生産されている。

2006.12.08 更新