Various Review
Vol.6
日本のポップ・ミュージックの歴史上最もド派手なブラス・ロック・バンド「スペクトラ ム」は、公式にはわずか2年間しか存在しなかった。 YAMAHAライト・ミュージック・コンテストに出場したことがきっかけでプロ入りした新田 一郎(Tp. Vo.)が、いくつかのバンド活動を経てスペクトラムを結成したのは1979年。 アマチュアバンドが腕を磨いてデビューにこぎつけるのとは違い、すでに相当なキャリア を積んだ腕利きの「職業演奏家」を集めてグループに仕立てるという手法は、同時期に芳 野藤丸とケーシー・ランキンが結成したSHOGUN、あるいはアメリカのTOTOあたりですでに 実践済みだ。 (グループ最年少のギタリスト、西 慎嗣(スペクター5号!)だけはあらたにオーディショ ンで選ばれた。) 日本のポップ音楽界が、いよいよ「混乱と狂気の'80年代」に向かおうとするまさにその前 夜、1979年8月に24時間テレビでセンセーショナルなデビュー。 頭に角、中世ローマの騎士をイメージしたギンギラの甲冑、3本のホーン・セクション、 ギターやトランペットをクルクル回して見せるアクション、超絶ハイトーン・ヴォイス。 比較の対象となる先行指標が何もない、その強烈なルックスとサウンドは観るものに衝撃 を与えた。 彼らを評するのに「早すぎた」という表現が使われることが良くあるが事実は違うようだ。 CMソング等でそれなりに認知度の高い曲を発表していたし、「夜のヒット・スタジオ」や 「ミュージック・フェア」等のメジャーな歌番組への露出もかなり多かった。 (当時の歌番組はまだ「『アイドル歌手』の中にたまに『ロックとかフォークの人』 が入って来てグレードが上がった感じになる」というレベルから、やっと脱するか脱しない かという状態であり、どこへ行っても浮いてはいたが。) 彼らがデビューするまでには、あのKISSが2度の来日公演を大成功させていたし、派手なル ックスが受け入れられないということもない。 音楽に関して言えば、シカゴやEW&Fの例を持ち出すまでもなくホーン・セクションのある バンドが受け入れられないということはないし、何よりもCMソングに使われた②⑪あたり は当時の一般民衆にもかなり浸透したはずだ。 結局、わずか2年という短い活動期間が、彼らの活動をあたかも「早すぎた登場」であった かのように印象付けてしまっているのかも知れない。 1981年9月22日、「世紀の哀しきブラスバンドクラブ」と銘打たれた日本武道館でのファイ ナル・コンサートを最後に彼らはグループとしての活動に終止符を打った。 まさに「駆け抜けた」という表現がピッタリの2年間だった。 この2004年1月には、82年に発表された映像作品"SPECTRUM LIVE/TIME BREAK -Spectalism 2004-" がDVDで再リリースされるなど、解散後もコンスタントに音源、映像のリニューアル再発売 が行われているのも、彼らのサウンドを待ち望む根強いファンの需要が見込めるからに他 ならない。 一過性の、見た目で話題を呼んだだけのバンドではないことの何よりの証左だ。 絶対にありえないこととは分かった上でひとつ。 期間限定でもいいから、ぜひオリジナルメンバーで再結成していただきたい。 (文中敬称略) <了>
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