2005年11月26日 (土)

昨夜「女の一代記」を途中から見ました。
普段この時間 テレビドラマはあまり見ない時間帯です。
関心のない時間帯です。
でも越路吹雪さんの力に引き寄せられたのか・・・偶然なのか
見てしまいました。

演じた天海さんは歌も下手でドレスも似合わないしドレスが
着こなせない、あれで役者だろうか!と思わせたものです。
オーラもなくミスキャストであったけど
いろいろなしがらみでキャスティングされたのだろうと
思います。

岩谷時子役の松下さんはそっくりだったし
すばらしかった・・・でも
メイクが若すぎた・・・
これは役づくりとして本人も制作側も勉強不足!

それはともあれ
私にはこの実物の2人は、生涯忘れることの出来ない人達です。越路さんが亡くなったのはいまから25年前の1980年
昭和55年11月7日。
その2年前に私は越路さんと岩谷さんに出会っています。

私が30歳の時、ミュージカル「アニー」初演(1978年)でグレア夫人を演じていました。

そのころ「アニー」は東宝が最初に版権を持っていました。

その時の音楽監督が越路さんのご主人、内藤法美さんでした。
越路さんはいつも岩谷さんと内藤さんの楽屋見舞いにきていましたね。

恥ずかしいのですが私はその当時、越路さんの偉大さを知らず・・というより関心がなかったのです。

私は昔から一人稽古が好きで
誰も来ない時間帯にいち早く来て稽古場で一人練習をしていたのです。
それを越路さんはよくごらんになっていたそうで
あとからスタッフの一人に聞いたのですが
「このカンパニー(アニー)でモノになるのはあの子ね」と
私の事をおっしゃってくださっていたとか。。

それをスタッフは本当にうれしそうに言ってくれたんです。
この言葉が私はずっと支えになっていたのです。

天上の人が本当に天上の人になってしまい
そのあとしばらくたって内藤さんも亡くなった時
私は葬儀に参列しましたが・・・。

越路さんを支えた岩谷さんとは
帝劇公演「レミゼラブル」(昭和64年)でまたご一緒するのですが
リハーサルの時舞台客席で私の横で
ある男優さんを厳しい目で見て居られましたね。
「あの人は声が汚いからキライよ私!」と私にささやいていました。

その言い方が可愛くて笑っちゃいましたが
いつも心の中には親友、越路さんが生き続けて
いるのだろうなあ・・・って思って聞いていました。

レミゼでは私は
初演の半年だけ出演しそのあとは
すぐ劇団四季に入団するのですが
劇団四季にても越路さんとのご縁があったのです。
それは浅利さんが
越路さんのロングリサイタルの演出をやっていらしたのです。
越路さんはそのあと四季での舞台にも何度か出演されたのですが
浅利さんとのエピソードも数々あり興味深いです(笑)。

越路さんは56才で亡くなりました。
今、生きていれば81歳・・・
私の亡母より2つ上ですから母と同世代だったんだな・・・

いずれにしても
彼女は努力家であったことは誰でも知っていること。

足元に及びませんがいまさら・・かもしれませんが
彼女に負けないエンタティナーであり続けたいと
決意させられた昨夜でした。

越路吹雪さんと私