白字になっている建物については、クリックすると写真が現れるか、あるいは別のページにリンクされています。もとに戻る場合には、最小化するか、閉じてください。

   Scheunenviertel は Spandauer Vorstadt とも呼ばれるが、前者は本来、現在の Karl-Liebknecht-Straße と Alte Schönhauser Straße に挟まれた狭い部分であったし、また後者の方は、最初の城壁が作られた際に(地図参照)、ちょうど現在の S-Bahn の駅 Hackescher Markt があるところに Spandauer Tor という城門があり、そこが現在 Berlin の 地区の一つである Spandau はもちろんのこと、Neurippen などの北方の町に通じる街道の起点になっていた。それは、今でもこの周辺に Oranienburger Straße、Große Hamburger Straße などといった道路名が残っていることからも推察できる。ちなみに Spandau は13世紀初頭以来の独立した都市であり、1920年にはじめて Berlin の一地区になった地域である。Spandau は Berlin の西側にあるので、位置的には必ずしもぴったりしないが、いずれにせよそうした関係で、〈Spandauer Tor の前面の町〉という意味で Spandauer Vorstadt と名づけられたのであろう。この〈町〉は、当時は貧民の住む町であり、特に19世紀末にはロシアやポーランドから逃げてきたユダヤ人の落ち着き先にいたが(後に触れる Münzstraße の北側に自発的にゲットーが作られていた)、最近ではむしろ Neue Mitte、つまり Berlin の〈新しい中心〉と呼ばれており、西の Ku'damm に匹敵する、見方によっては(例えば若者や観光客を引きつける魅力的な場所として)、文字通りの中心地となりつつある。
   写真は Alexanderplatz のテレビ塔から撮ったもので、中央左の Fassade の黄色い建物が Hackesche Höfe の正面、その前が Hackescher Markt、背後の尖塔が Sophienkirche、この写真では見えないが、左側に S-Bahn の駅 Hackescher Markt がある。なお、ここは地の利も大変よく、Museumsinsel や Marx-Engels-Forum まで 1000m ほどしか離れていない。西 Berlin の瀟洒な町並みに比べれば、街路樹はないし、雑然とし、汚らしいといった方が当たっているが、活気は比較にならない。ちなみに、Berlin の東と西の大きな違いは、街路樹の豊かさの違いにあり、東の道路には街路樹はほとんどないと言っても過言ではない。経済的な余裕のなさからであろうが、西 Berlin が戦後約50年にわたってほとんどすべての道路で街路樹を育ててきたのに対して、東側はいわば無機物だけの町になっている。夏の暑いときには、街路樹の陰と日向では5度くらいの温度差があるので、日向はたまらなく暑い。但し、これは戦災でやられた東側のほとんどすべての町に当てはまることで、例えば別項で紹介した Brandenburg などは、空気が乾燥しているからまだしも、耐え難い。
   この地区で最も人気があるのは Hackersche Höfe であろう。Hof というのはヨーロッパの大都会に特有の〈中庭〉で、どこでも通常何階建てかの住居棟が道路に面しているが、4本の道路に囲まれた部分には、どうしても道路と反対側の内側に空間ができ、ここを〈Hof〉という。最近ではこの中庭をうまく使って商店街などに利用している都市が多いが(Passage などという)、Hackersche Höfe の場合は、はじめから複数形になっており(Höfe)、しかもここでは9つの中庭がつながっている(上の白字の Hackersche Höfe をクリックしてください。別のウィンドーで写真が現れます)。Oranienburger Straße(上)と Hackescher Markt(左上)、Rosenthaler Straße (左)および Sophienstraße (下方)という4つの道路および広場に接しており、入口ないし出口が3つある。何階建てかのそれぞれの建物の上階は主として民家だが、地上階はレストラン、酒場、ブティック、商店、ギャラリー、劇場などとして使われており、人の往来が絶えない。壁面にも独特の意匠が凝らされており、特に Hackescher Markt の入口(左上のグリーンの屋根のところ)から入った最初の Hof は、タイル張りの Jugendstil 風になっている(右上の写真参照)。この中庭の集合体は、そもそも20世紀のはじめに建築家の August Endell らが企画設計したもので、戦災でかなり破壊されたが、戦後修復され、現在、特に統一後は Scheunenviertel、いやむしろ Neue Mitte の中心になっている。なお、上で触れた Sophienstraße のはずれに、比較的簡素なバロック建築の教会 Sophienkirche が立っている。この小さな教会は、1712年にプロイセンの Friedrich Wilhelm V の王妃 Luise が建てたもので、塔は後に付け加えられたものだが、Berlin で最も美しいバロック様式の塔と言われている。隣接する墓地には、例えば歴史家 Ranke の墓がある。
   Hackescher Markt から西北西の方向に走っている Oranienburger Straße も、特に夜は一大歓楽街と化す。一方、もともとこの地区はユダヤ人が多く住んでいた地区でもあり、そのためにこの道路の中程には金ぴかの丸屋根を乗せた Neue Synagoge(写真右)とユダヤ文化センター(Centrum Judaicum)がある。警備がかなり厳しいが、見る価値が十分ある。但し、休刊日はユダヤ教の祭日である。なお、1943年にナチスが破壊した古いユダヤ人墓地も Hackersche Höfe の隣にあり、ここには哲学者 Mendelssohn の墓がある。なお、シナゴーグは1938年にいわゆる Reichskristallnacht で部分的に破壊され、43年の空襲で完全に破壊されたが、88年に再建工事が始まり、95年に完成した。
   Oranienburger Straße をさらに先に行くと Friedrichstraße に突き当たるが、その周辺については別項に譲りたい。
   最後に、冒頭で触れた本来の Scheunenviertel およびその周辺について記しておきたい。そもそも Scheune というのは穀倉のことで、市内つまり城壁内の農民の穀倉があったことに由来している。17世紀には現在 Alexander Platz のある場所に家畜市場があり、そのための餌にする干し草や麦藁の収納場所が必要で、27棟の穀倉を城壁の外になるここに作ったそうである。ちなみに当時の城壁は、Hackescher Markt から Alezanderplatz までの S-Bahn の線路に沿っている Dircksenstraße の北側にあったそうである(最初の地図参照)。
   さて、それはさておき、Sophienstraße から Rosenthaler Straße を越えた先に比較的狭い Neue Schönhauser Straße という道路があり、この道路も本来古い城壁に沿った小径だったそうであるが、その手前の右側の角には、かつて Rote Apotheke と呼ばれていた Berlin 最古の薬局があった。現在ではここに Berolina-Apotheke という薬局があるが、この一角は最近取り壊されて、通称 Neue Hackersche Höfe と言われている新しい建物群が立っており、Hof には映画館やボーリング場がある。この道をさらに先に行くと、右側が Münzstraße、突き当たりが Alte Schönhauser Straße、左側が Weinmeisterstraße と名づけられている交差点に出る。Weinmeister というのはワイン作りの親方という意味であるから、この辺りにもワインの醸造所があったのであろう。右に曲がって Münzstraße を少し行くと Rosa-Luxenburg-Straße に出るが、この通りを左折してしばらく行くと、Scheunenviertel の中心である Rosa-Luxenburg-Platz という小さな広場があり、この広場に面して Volksbühne という劇場が立っている。この劇場は1913年に労働者が〈自由民衆協会 〉を創設して建てたもので、ハウプトマン、イプセン、ストリンドベルクなどの作品が上演されたが、協会はナチ時代に解散させられ、また劇場も戦争中に爆撃で破壊されたが、戦後修復されて現在に至っている。Rosa-Luxenburg-Straße の先は Torstraße、そしてそのさらに先は Schöhnhauser Allee、そして Prenzlauer Berg になる。