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   写真の中央下の左から右上の角の方向に斜めに走っている道路が Friedrichstraße である。すでに Gendarmenmarkt のページで触れたように(地図参照)、プロイセンの最初の王 Friedrich I が厳密な計画の元に作り上げた Friedrichstadt は、いわばその骨格として2つの幹線道路、つまり八角形の Leipziger Platz から東の方向に走る Leipziger Straße を横軸として、北の Oranienburger Tor から南の Hallesches Tor に至るきわめて長い 3.3km のこの道路を縦軸として備えており、この新しい人工の町は1709年に、元になる Berlin と Cölln およびその西に作られた Friedrichswerder、そして Unter den Linden の北側の Dorotheenstadt とともに、プロイセンの首都 Berlin の一部とされた。
   1685年以降、フランスからユグノーが移住してくることによって、Berlin は人口だけでなく、経済的にも発展し、また特にいわゆる Friedrich-Wilhelm-Kanal(Frankfurt an der Oder の少し南から Spree 川沿いの Neubrück の辺りまでをつなぐ運河で、現在では Oder 川の出口がさらに南に移され、Oder-Spree-Kanal と称されている)の開通によって、2つの川がつながり、交通の要衝としても発展してゆく。ちなみに、ヨーロッパ大陸には無数の運河が張り巡らされており、例えば北海から地中海まで、陸路を運河を通って船で行き交うことができるし、また数年前には、Rhein、Main、Donau の3つの川が運河でつながったため、北海から黒海まで船で通行することができるようになった。Berlin にも Spee 川を中心に運河が張り巡らされており、例えばBerlin の西側にある Wannsee はもちろんのこと、Potsdam まで船で行くことができる。いずれにせよ、1710年に56,000であった Berlin の人口は、1786年には150,000に脹れあがり、当時のローマやマドリードと同じ数になっている(第二次大戦前は4,300,000)。しかし、大戦後は戦災で破壊された上に、壁によって西側と分断されたため、特にこの地区の賑わいはなくなり、むしろ Friedrichstraße は Leipziger Straße との交差点の南側に設置された Checkpoint Charlie によって、外国人が車で出入りするための関門に過ぎなくなった。
   最初の写真に戻ろう。中央右の高層ビルの右下が S-Bahn の Friedrichstraße の駅で、高架線の先の左側に見えるのが Museumsinsel、高層ビルの背後に見える丸い屋根の建物(St.-Helwegs-Kathedrale)の手前の広場が Bebelplatz である。すでに触れたように、Friedrichstraße はかなり長い道路なので、記すべきものがいくつもあるが、以下に主だったもののみを、北の方から挙げておきたい。
   Friedrichstraße の北端は、この写真の左下の少し先にある Oranienburger Tor の交差点であり、その先は Chausseestraße になっているが、この交差点からほんの少し行ったところの右側に Dorothenstädtischer Friedhof という小さな墓地がある。この墓地は、1762年にこの地区の Dorotheenstadt と隣の Friedrichswerder の住民のために作られたものだが、きわめて重要な芸術家や学者の墓が並んでいる。例えば Hegel と Fichte(両者が並んでいるところが面白い)、Brecht とその妻 Herene Weigel、Heinrich Mann、Friedrich Schinkel、新しいところでは Anna Seghers、Heiner Müller などである。なお、隣接して Französischer Friedhof があるが、この墓地は本来ユグノーのためのものであった。また、墓地の北側には Brecht-Weigel-Gedenkstätte があるが、ここには亡命後の1948年に Berlin に戻った Brecht が妻と死ぬまで住み、妻の死後、記念館になっている。
   この墓から少し南に戻って Oranienburger Tor の交差点を Oranienburgerstraße に曲がった右側に、かつてのショッピングモールで、今では多文化・芸術センターのようなものになっている Tacheles が立っている。1907-09年に、当時としては珍しい鉄筋コンクリートの建物として建てられ、さまざまな歴史を経てきたが、戦時中の被害はあまりなかったものの、戦後は荒廃したままに放置され、解体の計画もあったが、芸術家イニシアティブ Tacheles の占拠によって阻止され、その後、公的機関の支援によって建物が歴史的な建造物として保護されることになった。現在、新しい形態の芸術と文化の国際的な交流の場となっており、劇場や展示場、カフェー、住宅などが混在している。
   Friedrichstraße をさらに先に行くと、左側に大きなガラス窓が正面に並び、ピンクのネオンサインで飾られた(夜間はさらにけばけばしい) Friedrichstadtpalast という、レビューやヴァリエテの大劇場が立っている。1869年に屋根付きの市場として建てられた後、サーカス小屋などに使われたが、古い建物は第二次世界大戦中に爆撃で破壊され、ようやく80年代はじめに新しく建て直されて、現在5000人の観衆を収容できる多目的ホールとして使われている。
   Spree 川を渡ったすぐのところに高架線になっている S-Bahn の Friedrichstraße 駅がある。Berlin の大きな駅にはカフェーやレストランはもちろんのこと、ちょっとした商店街があり、休日でも夜中でも開いているので、旅行者には便利だが、この駅の最大の売り物は、高架下が比較的高級な骨董街になっていることである。20軒以上の骨董屋が軒を連ねており、レストランやカフェーも並んでいるので、興味があれば休み休み何時間も楽しむことができる。また、駅の周辺は最近完全に整備され、きれいになって、以前とは趣がかなり違ってきた。
   さらに南に少し行くと、Unter den Linden との交差点にぶつかる。この周辺は、かつてカフェーやレストラン、高級ホテルや商店が並び、Berlin の繁華街の一つであったが、戦後かなり長い間いわば放置され、最近になってようやく昔の輝きを取り戻しつつある。特に Friedrichstraße のこの先はその感が強く、人通りもかなり多くなってきている。これは、首都 Berlin が本格的なものになり、連邦政府の官僚や大企業の裕福な従業員がこの町に移り住み始めたためでもあろう。もっともまだ生活の臭いがあまりしないが ― 。
   交差点の向かいの左側には Lindencorso という、外壁を砂岩で覆われた大きな建物がある。この角はかつて多くの文化人や軍人、実業家が集まった Café Bauer (あるいは Hotel Bauer)のあった場所だが、1997年に隣接の建物とともに取り壊されて、今では事務所、商店、住居を含む総合的なビルになっている。1階は VW のショールームによって占有され、Friedrichstraße 側はアーケードになっている。向かい側には1987年に建てられた DDR 時代の Interhotel の一つ Grand Hotel から変わった Westin Grand が立っているが、正面入口は Unter den Linden の南側に並行する Behrenstraße の角にある。一方、この通りに面した隣には、最近評判が高くなっている Komische Oper がある。Berlin の3大オペラ劇場の一つで、他の二つと比べると庶民的な方であるが、大いに健闘している。
   Unter den Linden との交差点の手前の角には、広場に面して Hotel Unter den Linden が立っていたが、2006年の3月3日に取り壊され、広場とともに、ここに Lindencorso と同じような事業所ビルが建てられる予定であり、これによってはじめて駅からここまでの建物群が完成する。一方、反対側の角には1936年に建設され、爆撃で唯一残った Haus der Schweiz という目立たない建物(写真右)が立っているが、これも事業所ビルで、もちろん1階はいくつかの商店で構成されている。このビルは Friedrichstraße と Unter den Linden 側がアーケードになっている。
   交差点から南側は、Checkpoint Charrie までは商店や事業所、カフェーなどが並んでいるが、その中で最も注目すべきは、左側に Gendarmenmarkt を挟むような形で並んでいる3つのブロックに立っている Friedrichstadtpassagen と呼ばれている建物群であり、ここにはデパート、ブティックなどの商店、事務所、レストラン、アパート、郵便局が収容されている。しかもこれらは、2階建ての地下街でつながっており、ここだけで一つの町を構成している感がある。1番手前の建物 Quartier207(写真右上)は、建物自体がガラスを多用したエレガントな建物で、パリのデパートの支店 Galeries Lafayette が地下を含めた建物の下の部分を占めている。しかもかなりびっくりするのは、デパートの中央の地階から地下2階までが、ガラス張りの円錐形の空間で貫かれていることである。〈隠れたフランス大使館〉とも呼ばれており、食料品売り場やレストランを含めて、ほとんどもうパリの一部である。
   隣の Quartier206 も事務所やブティックを収容した建物だが、内部の造りがきわめて豪華と言うか、むしろ贅を尽くしており、例えば地下の2階建てのホールは大理石をふんだんに使用した、エスカレーターも含めてアール・デコ風で統一されている。さらに隣の Quartier207 は Gendarmenmarkt との間のブロック全体を占有しており、ここもこれだけでかなり大きな商店街になっている。
   このさらに先には、かつて Checkpoint Charlie があったが、今では道路の中央の検問所のあった場所に、プラカードのようなものが立っており、北向き(つまり東 Berlin 向き)にはソ連兵の顔、南向き(つまり西 Berlin 向き)にはアメリカ兵の顔が描かれている。但し、ここは Berlin 最大の観光名所の一つで観光客が多く、道路の東側に立っている、東西分割の歴史資料を展示する博物館 Haus der Checkpoint Charlie もかなり賑わっている。
   Friedrichstraße の南端は、すでに冒頭で触れたように本来は Hallesches Tor だが、実はそのような門はとうの昔からなくなっており、現在では U-Bahn の駅名として残っているだけで、むしろ実質的には、Ost-Berlin のページの冒頭で紹介した円形の Mehringplatz である。しかし、Checkpoint Charlie から南側はすでに西 Berlin であるので、詳細を記すのは控えよう。