ソーセージの歴史

 ソーセージはギリシャ時代からある加工食品で、しかもその最も古い種類は血のソーセージ、つまりドイツでブルートヴルスト(Blutwurst)と呼ばれているものである。例えばホメロスの『オデュッセイア』には、「脂身と血を詰めた山羊の胃袋」などといった形でこのソーセージが話題にされている。古代ギリシャ人はこのソーセージを焼いて食べていたようで、怒りのために眠られず、ベットの上で身を転がすオデュッセイアの姿が、ソーセージをグリルするときの光景に譬えられている。

 ローマ時代には種類も増え、しかも焼くだけでなく、茹でるものも現れる。有名なアピキウスの料理書にもソーセージの作り方が載っており、細かい挽き肉に胡椒、キュンメル、松の実、月桂樹の葉、パセリ、それにワインを加えたローマ特有のliquamenないしgarumと呼ばれる魚で作った調味料を入れるとある。ローマ人にとって、ソーセージはデリカテッセンの一つであった。(左の写真はローマ時代のソーセージを焼くための道具)

 根っからのソーセージ好きのドイツ人には〈ソーセージ食らいWurstfresser〉というあだ名があるほどで、ゲルマン時代から食されていたが、ヴルスト(Wurst)という言葉そのものが生まれたのは11,2世紀であり、本来は腸に肉を詰める際にねじったり、裏返したりする作業を意味していたらしい。なお、14世紀半ばにヴュルツブルクの大司教のコックであったケーニヒによる最初のドイツ語による料理書には、Hirnwurst(脳みそのソーセージ)、Blutwurst、 Leberwurst(レバーソーセージ)、Bratwurst(グリル用ソーセージ)の4種類が挙げられている。おそらくこれがドイツのヴルストの原型と言ってよかろう。

 今日では大部分が大量生産され、肉屋はもちろんスーパーでも売られているが、昔はクリスマスが近づくと家で飼っていた豚を近所の肉屋に持ち込んでソーセージやハムにしてもらい、燻製にする場合は農家に頼んだりしていた。1頭の豚を肉として食べる部分はもちろん、頭から足の先まで、血も含めて利用し、胃腸はすべてケーシングになるのであるから、ソーセージやハムは肉の利用法としては完璧なものである。

 1994年の統計によると、年間の食肉の全消費量は約500万トンで、そのうち約半分の250万トンがソーセージその他の加工品として消費されている。これは国民一人当たり約30.1キロになり、しかも種類別の統計は以下のようになる。

     Brühwurst      6.9 kg
     Rohwurst       4.9 kg
     Würstchen     3.8 kg
     Kochwurst     3.5 kg
     Bratwurst      2.6 kg
     Speck           1.1 kg
     Aufschnitt      2.2 kg
     Aspik/Sülze    0.9 kg
     Schinken       3.7 kg
     その他          0.5 kg

語尾に-wurstがついている小型のソーセージ(大型のスライス用、つまりAufschnittに含まれるものを除く)のみで21.7 kgに達するから、ドイツ人がいかに沢山のソーセージを食べているかがわかる。これに対してハムは3.7kgにすぎない。

2006.12.07. 更新