ジャガイモの文化史

1.ジャガイモの歴史

   ジャガイモはすでに紀元前7000年前から、南米のチリやペルーの高地に住んでいた人々(インディオ)にとって、トウモロコシと並ぶ重要な食材であった。
   ジャガイモの種類は、さまざまな品種改良が行われた結果、(もちろん消えてしまったものも含めて)全部で2000〜3000はあるとされており、ドイツでは、栽培可能なものはアルコールや片栗粉(→後述)を製造するための工業用を含めて、およそ150はあり、南米でも、その後やはり品種改良がなされて、40〜50種類あると言われている。
   ジャガイモのに関する最初の記述としては、スペイン人のCastellanoがコロンビアの高地にある町ボゴタ(Bogota)の近くで1536年に見たという記述があり、彼はこう記している。
   「わずかな薄紫の花とホクホクした美味しい根をもった植物で、それはインディオにとってきわめて心地よい賜物であり、スペイン人にとっても美味な食物である。」








   さらに2年後、スペインの提督シエサ・デ・レオン(Cieza de Leon)が同じようにジャガイモを発見しており、彼は自分の日誌『ペルー年代記Chronica von Peru』に、その栽培の仕方と価値まで記している。その中で特に注目に値いするのは、今でも行われている独特の貯蔵法、つまり、ジャガイモを凍らせて水分を除去する方法チュンニョス(Chunos)の製法である。冬(5,6月)になると、ジャガイモを日中は灼熱の太陽に晒し、夜は凍らせる。これを繰り返すと、水分が分離してジャガイモが徐々に萎んでゆく。しかしそれだけではまだ水分が完全には抜けないので、これを足で踏みつぶす。さらに何日も(20日くらい)灼熱の太陽下の日干しと夜の冷凍を繰り返す。するとジャガイモはコルク状になり、何年も保存可能になる。(ちなみに分離された水分が壊血病に効くこともわかっていたらしい。→後述)

   ジャガイモをヨーロッパにもたらした人物が誰であったかは定かではなく、さまざまな説があり、その中には次のような説がある。

1)1575(1586)年に、スペインの無敵艦隊を殲滅したイギリスの提督サー・フランシス・ドレイク(Sir Francis Drake 1540-1596)によって船上食として持ち帰られたとされているが、これは単なる伝説に過ぎない。実はサー・ドレイクが持ち帰ったのはサツマイモで、そうした取り違えが起こった原因は、彼が1581年4月4日に、エリザベス女王に敬意を表して催した船上での祝宴のメニューの中にあったとされていることによる。この祝宴で、人々は多くのものを飲んだり食べたりしたが、その中にサツマイモを、ジャガイモについて何も知らない歴史家がジャガイモと勘違いしたのである。サツマイモは、そもそもすでにその数十年前にカナリア諸島からイギリスにもたらされたものであった。
   ドレイクが最初にジャガイモをヨーロッパに持ち込んだという伝説はかなり広く信じられていたようで、ドイツのBaden地方の町Offenburgにドレイクの記念碑が建っており、そこにはこう書かれている。    「1586年にジャガイモの賞味をヨーロッパにもたらしたフランシス・ドレイク卿・・・大地を耕作している何百万もの人々の繁栄は、あなたに忘れえない名声をもたらしました。」
   また、詩人のハイネ(Heinrich Heine)も次のような賞賛の言葉を書き残している。
   「ルターはドイツを震撼させたが、トレイクはそれを再び沈静化した。彼はドイツにジャガイモをもたらしたからである。」

2)イギリス人がバージニア*からの帰路に、略奪した船の獲物と共に持ち帰ったといった説や、エリザベス女王の寵児サー・ウォルター・ローリー(Sir Walter Raleigh)の指示でバージニアを建設したエリオットが、イギリスに持ち帰ったという説もある。
   また、自ら何度も南北アメリカを旅行したローリーに関しては、1588年に自らペルーからアイルランドにジャガイモを持ち帰り、自分の領地に植えたという説もある。

*当初は、サー・ウォルター・ローリーに率いられたイギリスの探検隊が発見した北アメリカ東海岸の島を指し、処女女王(Virgin Queen)エリザベスの名にちなんでVirginiaと名付けられた。但し、スペインの勢力が増大したためこの島は放棄され、イギリス人の移民が再開されたのは17世紀になってからである。

3)奴隷商人のジョン・ホーキンスが1565年に、ジャガイモを輸入してその種子を植物学者であり、医師でもあったジェラード(John Gerard)に渡し、この男が種子を育ててジャガイモを実らせたという主張もなされているが、ジェラードがこれを行ったのは、実はその21年後のことである。いずれにせよジェラードは、彼のジャガイモが注目の的になったことを誇りにして、彼が描いた右の自画像の中でジャガイモの花を手に取ったポーズをしている。ジャガイモは彼によってバージニアのサツマイモ(Batate Virginiana)と名付けられ、フランス人も最初の間はそのように呼んでいたが、バージニアでジャガイモが植えられていたわけでは決してないし、Batateと言われているように、ホーキンスが持ち帰ったのも実はサツマイモであった。

4)最も平凡な想定は、1550年から1575年の間に、スペインの修道士たちの手によって南米からスペインにもたらされたというものである。いずれにせよ、1573年にジャガイモがスペインに存在したという記録が、セビリアのある病院の書庫に残っている。

   いずれにせよ、こうしてジャガイモはたちまち人々に知られるところとなった。まずスペインから、当時スペインの支配下にあったナポリ王国へ渡ったが、ある時法王の使節がベルギーに行った際に、ジャガイモがモーンスの町の総督に贈り物として献上され、この総督がその種子からすばらしい植物を育てて、それをドイツのジャガイモの父と称されている、当時ウィーンの植物園の園長をしていたシャルル・ド・レクリューズ(Charles de l'Ecluse、別名クルージウスCarolus Clusius)に送ったと言われている。ド・レクリューズはこの花を徹底的に研究し、それにふさわしい名前を付け、1601年に出版された自らの著書の中にその画像を書き込んだ。さらに50年後の1651年には、ブランデンブルク選帝侯Friedrich Wilhelmがこの魅惑的な花をベルリンのLustgarten(右上の図版)に植えることを命じ、その花を日々愛でたとされている。なお、それ以前の1591年にはヘッセン=カッセル方伯Wilhelm IVがザクセンの選帝侯Christian Iに、自分はこれをイタリアから手に入れたという手紙を添えて、タルトゥーフ(Taratouphli→後述)という名前の新しい植物を送ったとも言われている。手紙にはこう書き記されていた。
   「何はともあれ、閣下に私どもが数年前にイタリアから手に入れたタルトゥーフと呼ばれる植物をお送り申し上げます。これは大地に生長し、美しい花と素晴らしい香りを備えており、地下の根には多くの芋が実ります。しかもそれを調理したものは、この上なく美味であります。」(事実ジャガイモの花は弱いバニラの香りがする。)
   このように、ヨーロッパにジャガイモが入ってきた最初の数年間、人々はジャガイモを食品とは考えず、むしろ観賞用の花と考えていた。ジャガイモは、最初は畑ではなく、王侯貴族の植物園に植えられたのである。あるいは、ルイ16世とマリー・アントワネットはジャガイモの花のブーケを付けて舞踏会に現れたし、花嫁のブーケとしても使用されたという。ジャガイモの花の美しさは当時の王侯貴族に非常に称賛され、ランの花と比べても比肩をとらないとさえ言われていた。

   一方、ジャガイモはヨーロッパに輸入されてからの最初の2世紀の間、悪い噂や評価の対象でもあったようである。たとえば教会はジャガイモを〈悪魔の根っこ〉と呼び、聖書に書かれていないという理由で、砂糖、たばこ、コーヒーと共に悪魔の座る椅子と見なしていたし、民衆は腺病を引き起こす(特に子供に)有毒植物と見なしたり、あるいは、ありとあらゆる伝染病(特にペストないしハンセン氏病)の原因とされていた。家族がジャガイモを食べているという理由から、学校でその子供と同席するのを拒む児童がいたり、妊娠中の女性が早産などの心配から、ジャガイモを食べるのを禁じられたりしていたとも言われている。
   他方で、これとは逆に、ジャガイモに薬効があると信じている者もいた。たとえば、リュウマチを治すために乾燥した芋を首の回りに置いたり、あるいはポケットに入れるなど、さらには歯痛を消すためにスライスしたジャガイモをスカートのポケットに入れておく、などといったことがなされていた。
   フランスではジャガイモは長い間豚のえさと見なされ、人間が食べるためにふさわしいものとはされていなかった。おそらく当時のジャガイモがそれほど美味ではなかったことが最大の原因であろう。

   ジャガイモをめぐるこうした状況に大きな変化をもたらした人物が2人いる。1人はフリードリヒ大王であり、もう1人は七年戦争(1756-63)の折に軍の薬剤師として従軍し、後にパリの傷病兵病院の薬局の責任者となったパルマンティエ Antoine Augustin Parmentier(1787-1813)である。
   大王は1740年に王位についたが、その際の農業政策の重点項目の一つがジャガイモの栽培の促進であった。というのは、18世紀には各地で飢饉が発生し、食糧の確保は至上命令だったからである。特にジャガイモは小麦やライ麦などの穀類の数倍の収穫高を示し、冷害にも強く,各国で戦乱や飢饉で荒廃した畑に積極的に植えつけら始めていたからである。特にアイルランドでは大成功を収めていたし、その後大陸諸国にも広く普及し,特に七年戦争(1756-63)は大きな契機となった。ところが、大王の努力にもかかわらず、農民が栽培に抵抗し、事がなかなか捗らなかったため、大王は〈禁断の木の実〉の故事に倣って一計を案じ、自分の農園にジャガイモを植え、これを兵士に厳重に見張らせたところ、民衆はそれがきわめて貴重なものと勘違いして、夜な夜な盗み出し、自分の庭に植えたという。いずれにせよ、ドイツでのジャガイモ栽培は、19世紀に入ると国策と印刷物による手引書の普及とあいまって飛躍的拡大をみせ、むしろ零細経営の農家や穀作に適さないやせた土地で成果をあげ、貧農や都市労働者を飢えから救った。
   一方、パルマンティエは従軍してすぐに捕虜になり、収容所でジャガイモの生き残り食料としての価値を知り、パリに帰ってからその栽培を大々的に促進することに務めた。しかし、同じように農民の抵抗にあったため、彼もフリードリヒのやり方をまねて、パリの農園にジャガイモを植えて厳重に監視させたという。    東ヨーロッパへの伝播にはドイツ人植民者の役割が大きく、ロシアではツァーが国有地農民にジャガイモの強制植付けを命じ、これに反対する農民の大規模な暴動が起こった(1840-44)。

   すでに述べたように、ジャガイモの薬効に関していくつかの迷信が広まっていたが、まともにその薬効を信じていた人々もいた。ヨーロッパにおけるジャガイモに関する最初の記録が、最初はジャガイモが薬と見なされていたことをはっきり示している。その記録とは、スペインのフィリペ2世の法王ピウス5世宛の手紙で、この手紙には、法王の病気の回復を願って1箱のジャガイモが添えられていたという。
   ジャガイモの薬効が認められていた最も顕著な例は壊血病に関するもので、そのきっかけは元々船乗りに壊血病に罹る例が非常に多くあり、南アメリカへの航海中に多くの船乗りがビタミンCの欠乏に基づくこの病気で死んだが、帰路にはおそらくビタミンCを多く含むジャガイモのおかげで、健康を保てたことに由来している。ビタミンCは免疫力を高めるばかりか、ホルモンの形成を刺激して性的能力を高める。一般的にジャガイモは炭水化物の含有量が多いこと、高価値のタンパク質を含むこと、および脂肪が少ないことなどのために、身体を健康にはしても、負担をかけることはほとんどない。栄養学者のハンセン(J. Hansen)はこの点に関して次のように書いている。「ジャガイモは体力を増進し、スリムにし、寿命を長くする。」
   ジャガイモは性感を刺激する、あるいは回春効果があるという説があるが、この点を踏まえて例えば先に触れたサー・ウォルター・ローリーは、ジャガイモに〈若者のリンゴ〉と名付けたそうである。また、スイスの植物学者ボーアン(Casper Bauhin)は、1619年にこう勧めている。「ワインで煮ると非常によいし、特に人生の盛りを過ぎたすべての人々に有効である。」

2.ジャガイモの名称の由来

   ペルーでは、ジャガイモは当時Papaと呼ばれていた。チリではTurma de Tierra (Truffel)、これがイタリア語化してTartufolo(あるいはtartufflo)となり、基本的にはこの名称がヨーロッパ語の中に根付いたとされている。トリフとジャガイモではその違いが大きすぎるが、形が似ている上(右の画像は〈白トリフ〉)、地中から掘り出すために連想でそう名付けられたのかも知れない。フランスではTautoufle,Tartaufe、さらにはCartoufleに変わり、これが東方に伝播していった。ロシアではKartofel, Kartoska, Kartowka、ポーランドではKarofla, Karczofleといった具合である。ドイツでは最初はTartuffelnまたはArtoffelnに、そして最終的にKartoffelになった。
   ドイツ語のKartoffelという名称は1742年に始めて登場するが、これはイタリア語のtartufflo>Truffel(トリフ)の訛ったものであると言われている。
   ドイツ語にはErdapfel(大地のリンゴ:フランス語ではpommes de terre)という言葉もあり、これには形がリンゴに似ているためという説があるが、梨に似ているためErdbirneと言う地方もあり、この説には信憑性はないし、さらに、Erdkastanie, Erdrube, Erdschocke, Grundbirneなどという言い方もあるので、ますます信憑性は減る。
   ラテン語ではジャガイモはSolanum tuberosum esculentumと称されるが、この意味は〈食用可能な芋状のナス科の植物〉であり、前出のBauhinが16世紀の末に付けたものであるが、これをもとにスエーデンの自然研究者Karl v. Linneが、後に学名としてSolanum tuberosumとした。

3.ジャガイモの栄養価

   ジャガイモは食用植物だが、地表に出ている部分と芽には毒がある。また、太陽光にさらされた形で貯蔵すると緑化し、この部分にもかなり強い毒性がある。すべてのナス科の植物がそうだが、緑の部分を食すると吐き気や下痢を引き起こす。毒性が強い場合は、幻覚症状や痙攣、あるいは精神的な不安状態になる。これはそうした部分にソラニンsolanine というアルカロイド配糖体が形成されるためで、若い塊茎に多く,成熟した芋では芽の部分にも局在する。
   〈ジャガイモ腹〉という言葉があり、ジャガイモは肥満の原因であるという説があるが、これは全くの誤解である。カロリーは100gあたり75kcalしかなく、新鮮な果物より少し多いだけである。ジャガイモを食べて太るのは、一緒に食べる肉やソース、マヨネーズ(ジャガイモ・サラダ)や塩が原因である。ミネラルやビタミンC、Bも多く、中くらいのジャガイモの ビタミンCの含有量はトマトジュース1杯ないしはリンゴ1個分もあり、すでに触れたように、かつては遠洋航海における重要な栄養源であった。まだビタミンが発見されない時代に、船乗りはジャガイモが壊血病に効くことを経験的に知っていたのである。

ジャガイモ100g(中くらい1個)に含まれる成分表

4.ジャガイモと料理

   ドイツにおける現在のジャガイモの年間摂取量は国民1人あたり72kg(ヨーロッパでは中くらい)だが、1856年には250kg、1913年には700kgであった。
   ドイツでは、およそ150種類のジャガイモが認可されているが、フリードリヒ大王の時代以来、改良されて作られたものは、一説によると1500種類もあるという。実際に生産されているのは50種類ほどで、そのほとんどに女性の名前が付けられており、形状や大きさもまちまちで〈小さな角 Hörnchen〉と呼ばれる細長いもの(左の写真)もある。
   ジャガイモは春に市場に現れた〈新ジャガ〉(Frühkartoffeln)が最もおいしいとされている。あるいは自分の畑で実らせ、プラムぐらいの大きさになったものを掘り出して食べるのが最もおいしいとも言われている。皮がまだ柔らかく、手ですぐ剥けるほどである。塩水で茹でて沸騰させ、新鮮なバターと一緒に食べる。クヴァルクや新鮮なアサツキやディルを添えてもよい。
   ジャガイモはざらざらした皮がついているにもかかわらず、かなり繊細で、買う際には次のことに気をつける必要がある。

1.芋はしっかりしていて、引き締まったものがよい。皮に皺ができるのは、貯蔵庫が暖かすぎたり乾きすぎている場合である。皮がちぎれて垂れ下がっているものは十分に熟していないものである。
2.芽が出ているものは避ける。あるいは芽をそぎ取る。芽にはすでに述べたようにソラニンという有毒アルカロイドが含まれているからである。
3.緑色をしたものは買ってはならない。緑化した皮にもソラニンが含まれているからである。緑化するのは、明るすぎる貯蔵庫で貯蔵した場合か、畑で大雨などによって土が露出した場合である。緑の部分を切り取ればよいが、完全に緑化しているものは捨てた方がよい。
4.表面の黒色や茶色やざらざらした部分は問題ない。これは成長や収穫の際に天候が不安定であったために生じたものである。そうした部分は削り取ればよい。

種類と調理の関係

   すでに述べたように、ジャガイモの種類はきわめて多く、その名称はほとんどの場合、女性の名前である。また、調理との関係から見た場合、以下の3つのタイプ(Kochtyp)に分けられ、これは主として澱粉の含有量(一般的には15〜21%)に関係している。つまり、澱粉の含有量が多ければ熱を加えたときに煮崩れせず、ツルっとした感じになり、少ないとホクホクした感じにはなるが、煮崩れしてしまう。日本のジャガイモで言えば、前者がメークイーンに近く、後者が男爵に近いが、ドイツのジャガイモは概して澱粉の含有量がかなり多い。ちなみに、日本の〈片栗粉〉も、現在ではその原料はジャガイモである。(ドイツ語では文字通り〈ジャガイモ粉Kartoffelmehl〉である。)

1.茹でると実がしっかり締まるもの(festkochnede Kartoffeln):
ジャガイモサラダ(Kartoffelsalat後述)、塩ゆでジャガイモ(Salzkartoffeln)、皮付き塩ゆでジャガイモ(Pellkartoffeln)、炒めジャガイモ(Bratkartoffeln)、あるいはレースティ(Rösti)やパンケーキ(KartoffelpufferまたはReibekuchenとも言う:左の写真)を作る場合になどにも使われる。

2.実が特にしっかり締まるもの(vorwiegend festkochende Kartoffeln):
塩ゆでジャガイモ(Salzkartoffeln)、皮付き塩ゆでジャガイモ(Pellkartoffeln)、焼きジャガイモ(Grillkartoffeln)

3.ホクホクした粉っぽいもの(mehligkochende Kartoffeln):
スープ、アイントップ、ジャガイモ団子(Klöße:右の写真)およびピューレ

   なお、貯蔵に際しては成熟の時期に注意する必要がある。

   1.収穫時期の早いもの(Frühkartoffeln):すぐに食べるのに向いている。
   2.9月半ば頃収穫したもの:3ヶ月は保存可能
   3.冬を越して貯蔵したい場合は、10月に市場に出回る、収穫時期の比較的あるいは非常に遅いものを選ぶ。貯蔵には涼しくて、霜の被害に晒されない、暗い場所が前提となる。それによって来年の収穫時期まで保存できる。なお、ジャガイモの澱粉は遅く獲れたものほど多く含まれ、しかも貯蔵中にさらに増える。